『入門 人間の安全保障』中公新書を読む。

この概念のいかがわしさというのは、研究分野としての「人間の安全保障」と、実践としてのそれが、かなり分かちがたく結びついているからだと思う。だから、この分野について、たとえば研究の立場から何か言っても、実践の立場からは机上の空論のように聞こえ、逆に、実践の立場から何か言うと、理論的あるいは実証的視点が欠如しているように見えるのではないか。そして、ぼくのような悪意ある聞き手からすると、研究の視点から言っていることすら、実践のように聞こえてしまう。
まあ、そうやって研究と実践を分ける必要があるのか、というのが人間の安全保障の立場かもしれないけど、凡人が渦巻く浮世で、これまでのスタンダードとは異なるその立場を理解させるのは時間がかかると思う。

とは言いつつだ、軍事的な安全保障や短期的な(その場しのぎの)開発資金の投入から、もっと長期的な、自立支援を考える点は非常に重要だと思う。

また、新しい分野・新しいスタイルの研究であるという点も考えさせられる。
こういう新しい研究分野について賛否あると思うし、自分自身あまり良い感情を持っていないが、研究活動というのは、ほかの社会活動と同じように、社会の、俗世の意向というものに強く規定されると考えるようになった。もっといえば、社会に影響されるべきだ。なぜなら、研究活動を行うのは人間だし、研究は究極的には社会人類に還元されないと【意味がない】からだ。
つまり、人間の安全保障という分野の出現も社会の要請なんだろう。だから、粗さがしをするよりも、澄んだ、きれいな心で、「なぜ社会は人間の安全保障を求めるのか」「どのように人間の安全保障は人類社会に貢献できるのか」考えなくてはならないw