なんなの日記

年末は紅白とガキ使と第九を一度に見ます。

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カテゴリ: 雑感

おととしの7月とかの投稿を見てると、自分よく頑張ったて耐えたなと思った。耐えるだけで、それだけで本当にいいのか、それって逃げてるだけで、未来への投資はしなくていいのかって、そんなことも当時は考えてたけど、あのときの自分で良かったと思う。それ以上のことは出来なかったって。

あと、ああいう時期があって、自分にとって何が良いかとことん考えることができた。周りじゃなくて自分。自分が楽しかったらそれでいい。それをしみじみと思ってる。

人生なんてどんな道に進むことになっても、どこで立ち止まることになっても、それはそれで何かがある。終わりじゃない。人生は続いていく。それが最近やっとわかってきた。竹田さんが癌になって言いたかったことも、きっとそういうことなんだろうな。こういうことに思いが至れるようなったのだって、あの期間があったから。別にあの期間が良かったということじゃないけど、そういうことに気づけた。


人は悲しみが多いほど人には優しくできるのだから

合説なんていうアホの祭典に行くくらいなら、普段しないこと、例えば部屋の掃除とかゴミ出しとか料理とかエアコンのフィルター洗浄とかしたほうがいい。そういうのが有限な時間の使い方としてよっぽど真面目。

エッチな話じゃありません。

日本の労働慣行には気持ち悪いものが多いが、その原因はオジサンたちのロリコン趣味に行き着くと思うんだ。つまり処女信仰。

職歴があったり、アルバイトしてたような人は、採用で一段下に見られる。扱われるかどうかは別にして、そう見られる。学校出た瞬間に、生涯の勤め先に入るべき、って考え方だな、これは。

でも、考えてみれば、学校を卒業してから何年間か、腰掛の会社を何社か見て、社会勉強して、納得ずくで一生の会社を決める、、、というのが本来あるべき姿でしょ。それが欧米では普通だし。

日本ではどうかといえば、半年か一年かの就職活動で、企業のいいところだけ見せられて、それで(建前上)一生の会社・仕事を決めなければならない。これって、学生にとっても、そして企業にとっても幸せなことじゃないよな。誰も幸せじゃない。

そんで、若者の離職率が高いだの言われても、「しょうがない」としか言えない。むしろ、この程度の離職率で済んでいるということで、日本の若者の勤勉さを褒めてあげたほうがいい。

もはやわが国は崩壊に瀕しているといっていい。沖縄は? ビルマは? 残念ながら一敗地に塗れたといっていい。では本土決戦は? 「これとても御存知のように勝算はまったくない。これで戦争はなお敗けていないということはできないと思う。明らかに敗けておるのである
阿南陸相は激しく抗弁した。個々の戦闘には敗けたが、戦争の勝負はついていない。「陸軍と海軍ではこのへんの感覚がちがうのである」
「この原案ではいままでの大本営発表がすべて虚構であったということになる。それに戦争は敗けてしまったのではなく、ただ現在好転していないだけの話である
その彼らに、「戦勢日に非にして」などという彼らの努力を無視するような判定をどうしてあたえられようか。彼らは義務の命ずる以上のことをやりとげている、しかしなお「戦局好転せず」、やむなく終戦と決するのである。それが陸相の心であった。陸相に、米内海相や東郷外相ほどに敗戦の感覚がなかったのは事実である。しかし、それが全陸軍の感覚でもあった。そして陸相は陸軍の強烈な意志のただひとりの代弁者であった。
「いいかね、書記官長、戦勢日に非にして、戦勢日に非にしてだよ。この点は絶対に訂正するな」
(123-126頁)

「この点、陸軍大臣の主張のように修正することにしよう」
(136 頁)

「戦局日に非にして」が、はじめ「戦局非にして」となり、さらに阿南陸相の主張で「戦局好転せず」となり、ついで「戦局必ずしも好転せず」と修正されて、やっとまとまった
(159頁)
半藤一利『決定版 日本のいちばん長い日』 

然ルニ交戰已ニ四歲ヲ閱シ朕カ陸海將兵ノ勇戰朕カ百僚有司ノ勵精朕カ一億衆庻ノ奉公各〻最善ヲ盡セルニ拘ラス戰局必スシモ好轉セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス
『大東亞戰爭終結ノ詔書』


ところで、「戦勢日に非にして」と「戦局(必ずしも)好転せず」、どちらの表現が今の自分に合うだろうか。どうも、「日に非にして」の気がする。 日に日に状況が悪化しているのではないか。

が、「日に非にして」が普通になると、突如としてガクッとなったときに比べると衝撃は少なくなってくる。 なにも好転していないのに。ジリジリと悪くなって、すくなくとも何の打開策も見つからないのに。以前よりなにも良くなっていないのに。

今では、なるようになれ、というか、もう自分の努力の範疇の外のことを考えている。どこかにある均衡に向かって動き出すのを待っている。自分からは何もしたくない。何も。だって、「いっしょうけんめいやっても…」なのだから。 

今の日本の社会も教育システムも、自分の親(※)も、世界の中での日本のポジションも、もう全部嫌だ。もう怒りしか覚えない。

ただ、日本にはびこる意味の全くない見栄とかブランド志向、そして既得権志向(もちろん僕ももっている。そのせいでかなり苦しんでいる。今でも、あの二つ三つの会社に入りたかった、と思っている)、そういうものについては、こう答えられるかもしれない。すくなくともヒントにはなる。

『断腸亭日乗』大正12年10月3日
…帝都荒廃の光景哀れといふも愚かなり。されどつらつら明治以降大正現代の帝都を見れば、いはゆる山師の玄関に異ならず。愚民を欺くいかさま物に過ぎざれば、灰燼になりしとてさして惜しむるには及ばず。近年世間一般華奢驕慢、貪欲飽くことを知らざりし有様を顧みれば、この度の災禍は実に天罰なりといふべし。何ぞ深く悲しむ及ばむにや。民は既に家を失ひ国帑また空しからんとす。外観をのみ修飾して百年の計をなさざる国家の末路は即かくの如し。自業自得天罰覿面といふべきのみ。

無秩序の時、「外観」が崩れた時にこそ、そいつの真の姿が見える。
お前らが偉いんじゃなくて、お前らがまとっている「外観」がそう見えさせているだけ。お前らはそんなに偉くない。一時的に外観が保たれている、その危うい中で、奇跡的に、偶然的に、お前は既得権の中にいるんだぞ。

なんなら一度リセットして、最初からやり直せばいい。有能な人は上に行けるだろうし、無能なオジサンは淘汰されるよ(自分が有能であるとは言っていないが、いまのやり方は明らかに僕らに不利!)。

※自分の親に社会常識が決定的にかけているおかげで苦しんでいる。あんたは俺のことを心配してくれてんのかもしれないけど、俺はあんたが過去に、そしてこれからどれだけの恥をかくかが心配だよ。人から笑われてんのに気付かない、気付くだけの知識がないのは、本当のバカだし、マジモンの弱者。そうでしょ。
たった一つの、どうでもいい一般常識を伝えるのでこんだけ苦労するんだから、もう何も教えないよ。ちゃんと俺が思っていることを十分に理解してもらおうと思ったら、中世ヨーロッパにおける大学の誕生のへんから始めなといけないだろうよ。もちろんここの部分は冗談ですけど、バカはバカなりに世の中のことを勉強してくれないと、有限の時間の中で、そして有限の俺の能力の中で、そういうのは他の人に対して大きなハンデ。家庭の文化的資本の差はここにも出る。


話は変わるけど、脱力系映画っていうの好き。話のピークはあるけど、あいまいで低くて、それでどこから見てもいいような、そんなの。

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