なんなの日記

年末は紅白とガキ使と第九を一度に見ます。

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どんな人間だって、嫌なことをされればむっとするし、恥をかけば、むっとする。自慢話が好きだし、自分の都合で怒りもする。誉められりゃいい気になるし、見下されれば、この野郎、と思う。俺もそうだ。みんなそうだろ? 教師だって、そういう人間がなっているんだ。大目に見ろという気はさらさらないけどな、先生に相談すればたちどころに道筋を示してくれるだろう、なんて期待をすると痛い目に遭うぞ。教師は知っていることも多いし、苦労も多いけどな、だからと言って、人間的にはもちろん、ごく普通の人間だ。まあ、生徒のほうも結局は普通の人間だからな、お互い、相手を馬鹿にせず、頼りすぎず、付き合っていくしかない
242頁

この本には教訓しかない。 

最近、三島作品を読んでいる。
高校の時に金閣寺に失敗して以来だ。

とは言っても、特に理由はない。高尚な感じがするからだ。人が中学高校の時点で済ましてきた(かもしれない)ことを今になってやっている、ただそれだけ。

雨のなかの噴水
(中学の時、教室に置いてある中学生向け短編集的なのに入っていて朝読書の時間に読んだことある。ちなみに、同じ本に入っていた「メリー・ゴー・ラウンド」は忘れられない。三浦哲郎という人の作品らしい 読書の時間に読む本 中学3年生

海と夕焼

命売ります
(市立図書館で、もうちょっと読み残しがある。急いで読みたい。これサイコー) 

憂国
(今日は帰りに(意を決して)、三島自選短編集『花ざかりの森・憂国』を買った。それ所収)

今日はほかにも、志賀直哉「城の崎にて」、川端康成「伊豆の踊子」を読んだ。あと、金閣寺や雪国にも目を向けたが断念した。 

あと、新潮から出ている文豪ナビの三島由紀夫にいい言葉があった。29頁、「仮面の告白」についての部分。
成長とか成熟とか、しなくてもよいのに、人は別の人格へと脱皮したいと願う
そうか、しなくてもいいんだ。
まあ、成長・成熟って、なんだかそれ自体で「よい」ものに思えるけど、でもよくよく考えると、成長・成熟も何かの手段なんだよね(目的って、よき生とかかな?)。

そう考えれば、よき人生とか、幸せをほかの手段で達成できる、より効果的に達成できるなら、別段、成長・成熟を追い求める必要ってないよな。うんうん。


三島由紀夫さんって、作品の幅が広いですよね。金閣寺や憂国みたいなのを書くと思えば、今で言うラノベみたいなのも。不道徳教育講座も。そんで詩や戯曲、かと思えば肉体改造から音楽。そして最後にはあれですからね。

作家の人生を理解することで、作品の理解がより深まる。もっと言えば、作品に否が応でも作家の生き様が反射してしまう。それに目を向けずにはいられない。そういうのが「文豪」っていうんだろうな。



という偉そうなことを月光を流しながら書きました。


「近来、議会否認論の行わるる傾向があるがこれは政治の実際に迂遠にして到底改善はできぬと速断したるものであり、これに対して我々はあくまで議会政治の妙用を信じ、十分改善の可能なるを信ずるのである。」

「そもそも政界百弊(ひゃくへい)の根源は、選挙に莫大の金を要するがゆえなれば、まずもって現行選挙法を改正しなければならぬ。」

「しかれどもかくのごとき制度の改正は、結局これを活用すべき政治家の態度行動如何によるものであり、たがいに政策の決定したるものは万難を排して着々これを行い、もって議院政治の真面目(しんめんもく)を国民に向かって指示したらんには、現行の政治組織を否認せんとするものの大部分は緩和同化せらるるものと確信する」

 『犬養木堂伝』中巻(東洋経済新報社)所収(昭和7年5月8日)

今日(22日)は、久しぶりに図書館に行かなかった。大雨だったから。

しょうがないので、昼間?昼下がり?に、『キリスト教入門 』をぱらぱらと読んだ。昨晩から続けて。

聖書の有名な一節だけど、いい言葉だな。


狭き門より入れ。滅びにいたる門は大きく、その道は広く、これより入る者多し。生命にいたる門は狭く、その路は細く、これを見出す者少なし。(マタイ伝第七章一三、一四節) 

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